我が家には一羽の文鳥がいます。
昨年の5月に雛から飼い始め、1年と3ヶ月程経ちます。
※最初に「鳥と人間の子を一緒にするな!」というお叱りも受けそうなので、そういった主旨ではないことを予めお断りしておきます。
この文鳥、名前を「チョコ」といいますが、本当に心底我が子同然に可愛く、愛おしい我が家の長男です。
おそらく、わんちゃんやネコちゃん、他のインコなどの動物も同じかと思いますが、チョコの仕草?行動?は、本当に人間の赤ちゃんと似ている部分がたくさんあります。
●家族、特に信頼する人の後を付いてくる。離しても離しても後追いする(なので、ドアに挟んでしまうという事故も多い)
●ひと肌が恋しいのか、服の中に入ってくる。(赤ちゃんがママに抱っこされて、ママの肌に触れると安心するような)
●親と認識している人がいないと必死に探すと
等々…
ものすごく甘えん坊で、世話も焼ける(どこにでも排泄するし、当然ご飯も水も用意して、部屋も掃除が必要)
お世話をしてみて、「あ、なんか懐かしい…この感覚…」と思ったのでした。
そして、ハッと気づいたんです。
この動物に対する接し方って、子育てに共通するものがある、むしろここから教えてもらうことがあるんじゃないかって。
当然ながら、子どもは私たちと同じ人間の子です。
同じ言語を理解し、ゆくゆく会話ができるようになる。
だからつい「私の言うことを理解してるのに、なんでできないの⁉️」と思うような場面が出てきてしまいます。
少し間違うと、自分の主観が理解されない、伝わらないことにもイライラ…
「これをあげたら喜ぶと思ったのに、なんで⁉️」
とか
「今、それができないってわかるよね?なんで声かけるの⁉️」
とか
「この前も同じこと言ったよね⁉️」
とか……
もしくは、
「普通(この普通は自分基準)は、こういうときこうするよね⁉️」
なんてことも思うかもしれません。
これ、対文鳥だったらどうなのか。
「わからなくて仕方ない」
なんです。
だって、言葉通じないもん。
だって、人間じゃない他の動物だもん。
わからなくて当たり前。
通じなくて当たり前。
それが大前提にあるから、思い通りにならないことに腹が立たないどころか、そんな気にもさらさらならない。
わからないけど、わからないなりに「快適に、安全に過ごせる環境を用意してあげたい。幸せに生きていてほしい」と思って、その子(文鳥や他の動物)のお世話をします。
決して、用意したご飯を残したからって叱ったりしません。
少し苛立って突いてきたからって、体罰を与えたりもしません。
たしかに、ここで噛んじゃいけない。とか、ここはトイレじゃないと教えられる動物には伝えることはあるかもしれない。
でも文鳥には、それすらもしません。
それは、私たちの期待値がちゃんと合っているから。
「できない」を知っているから。
これ……
人の子どもも同じように考えられたら、ものすごく楽になりませんか?
だって、私から産まれてるけど、私じゃないもの。
まだ守ってあげないと生きられない、
まだ未発達なことも多い。
でも、私の分身ではない。
私と同じ経験もしないし、
これからまったく同じ道は辿らないもの。
何を考えるのかなんてわからない。
好きなもの、嫌いなものが違って当たり前。
気持ちを理解し合えないことがあっても無問題。
私たち大人が1人1人違うように、我が子であっても「他の人」です。
ベースは「他の生き物」という考え方。
その生き方をコントロールしたり、過度に護るのではなく、彼らがどうしたら、安全に快適に過ごせて、彼ららしい人生を生きられるのか…
そこを見守り、サポートするのが、少し長く生きてきて、知恵と力が付いた私たち親や大人の役割なんじゃないかと思うのです。
そんなことをチョコから教えてもらいました。
「誰かを尊重する」
なんて小難しく考える必要はないのかもしれない。
自分とは違う誰かと生きている
を大前提に子育てもしたいなと思ったのでした。